AT_N's MEMO

AT_Nって人の雑記帳。ゲームの話が9割。

ネトゲで効率を求める時、なぜ「身内」を作ったほうがよいのか

前もって断わっておくと、以下の内容はHN:AT_Nという人間の考え方が色濃く反映されているので、他の人が言うそれと同じとは限らない、というか多分結構な部分が食い違う事と思う。
そのことを頭に入れて、読んでもらいたい。

●前提無くして効率という考え方は成立せず、評価できない
つまりどういうことかって言うと、単純に効率って言うなら「理論上の最適解」ないしはそれの近似値を追及するのが本来妥当なはずなんだけど、多種多様な人間が参加する以上、個々人の能力、事情といった要素を考慮しないのは論外だよね、という話。
で、そういう要素を考慮せずに「ああしないのはダメな例だ!」「こうしないやつは地雷だ」って言うのは、まず効率を追求する姿勢として不十分なので頭を冷やしましょう。実践値と理論値は別物です。

●それでも不特定多数に啓蒙したいのであれば
快適な環境づくりのために人々の意識を変えたいのであれば、「ああしないのは地雷だ」「こうしない奴はクズ」と威圧的な態度をとるのはそもそもが悪手であって、同じステージに来てもらうために”ふれんどりぃ”に立ち回るのが正義であろう。
どんなに効率を追求したくても、その考え方を受け入れてもらえなければそもそも話にすらならない。
そして、受け入れてもらうためには先に述べた個々人の能力・事情を斟酌する必要も出てくるし、諍いが起きないよう心を砕く必要もある。
そこまでやっても、同意を得られるかは別問題だが(無論、当たり前の話だ)。
ちなみに、「あなたの中での正答」が、「みんなにとっての正答」になるとは限らない。独りよがりな主張にならないよう、しっかりと論理武装した上で啓蒙する必要がある。

●大前提として他人は自分の思い通りにはならない
当然の話ではあるが。自分の中で当たり前だと思っているラインを簡単に踏み越える人だって当然いる。そういう人の存在を想定しないのは、単純に思慮が浅いと言う他ない。安全策はどんなに用意したところで無駄になることはないのだから(それが機能するかどうかは別である)。
したがって、「野良」という環境に自分にとって都合のいい状態を望む・要求するのは筋違いであると言えよう。もしもあなたが全知全能の神様か何かであるならば、別なのかもしれないが。

●つまるところ
効率を追求する上で野良という環境は、あなたに多大なコストを要求する。その上であなたを満足させる結果が得られるとは限らない。ぶっちゃけて言えばそういう意味では野良ってのは効率は最悪だ。
だから、結論として効率を求めるのに野良という環境は不適切である、ということになる。

●野良ならではの楽しみがある”かもしれない”
人によっては野良ならではの楽しみがある、一期一会は身内では味わえない、野良で上手くいったらうれしい、といった反論もあろう。
しかし、だ。
それは正負合わせて何が起こるか分からない、という場の特性の一側面でしかなくて、その一方だけを挙げるのはアンフェアだ。
もしかしたら不快な人に出会うかもしれない、まだまだ経験の浅い人と組むことになるかもしれない、そういう悲喜交々を認めた上で、野良ならではの楽しみがある、と言うのがより言及の意味するところに忠実であろう。

●故に
効率を求めるのであれば、そういったコストを払うよりは身内を作って快適なプレイ環境を構築したほうがローコストだ。
もし、それでもあなたが見知らぬ他人に「効率のために努力すべき」と効率主義を押しつけようと言うのならば、あなた自身が「効率のための努力を放棄している」事に気付いた方が良いだろう。